【 プロフィール 】 楽しそうから始まった勘違い?

もと花屋。今は身体の不調を言い訳に(?)
違う仕事をしている50歳のおじさんです。

名前は 奈良剛之 ナラタケユキ

↓ ちょいと長い文章ですが、、、良かったら読んでくれませんか??

2005年11月  生花店 【 Flowers Evergreen 】を 群馬県前橋市で開業。(店舗で小売)

お客様の要望をしっかりお伺いしてから花束やアレンジメントを制作する花屋。
ウエディングブーケも同様に、無料相談会を実施、コンセプトメイキングからブーケや装飾を制作。アレンジスクールも主催。

2012年2月 共同経営者である妻が病死したため【 Flowers Evergreen 】廃業。

2006年1月 デスプレイ専門の花屋 ARRANGE 〜 植物と空間のアレンジ 〜 (無店舗)

修行時代

10代の終わりごろ花屋という仕事にであい、初めの頃は無我夢中で何してるんだかわからない、というかただひたすら配達と仕入れの荷物を運ぶか、何しろ運転している時間が多くてそれは嫌ではなかった。

配達というのは主に葬儀用の生花で、それは配達しただけではなくて、当時はお通夜は自宅、次の日葬儀場(市の斎場)で告別式というのが普通で、なのでお通夜に飾ったものすべて斎場に移す、という仕事がメインみたいなもんだった。
※葬儀用ホール(メ⚪︎リードとか)そういう民間ホールはまだ無かった時代の話です。

そういった、運ぶ、飾る(セッティング)、移動する、最後に片付ける、という仕事を覚えていくうちに、というか慣れていくうちに、葬儀用の生花でさえ、バランスよく配置するとか、見えやすくとか、時には人の動線なんかも考えることもあったりで、それはそれで「おもしろく」感じるようになった。

そもそも、花屋で働こう、と思ったきっかけも「なんだか面白そう、楽しそう」に見えた(そう映った)から。
まぁ、全世界の花屋の先輩方にすれば非常に失礼な話ではあるんだけれど。10代の終わりごろなんて、ましては男子なんて頭のなかはそれこそお花畑だったのかもしれない。恥ずかしい話にかさ増しするなら、高校生の頃は目指すものが見つからないし、勉強もマシにしない、そうかといって「ワル」とか「ヤンキー」ってのも違って、今になって思えばとっつきにくい学生だったなぁ。

閑話休題。

そうそう、面白そう、楽しそうと見えた花屋の仕事に慣れていくと、「つくり」に興味が湧くのは至極自然なこと。欲求は、アレンジも花束も葬儀用スタンド生花も、全部、つくってみたい、花に触ってみたい、だ。その当時、花屋の世界では(といっても知る限りのめっちゃ狭い世界だけど)配達などの下積みを3年以上やらないと「つくり」はさせてもらえない、というのが常識みたいだった。

そんな時に他の花屋からスカウトされる。その言葉は「うちにくれば、なんでもつくれるぜ、そろそろ覚えてみたい頃だろ?」そんなこと言われれば、魅力的に感じない訳がない、断る理由がひとつもない。普通ならお世話になった「はじめての花屋」に恩義を感じ悩んだりするだろうけれど、そんなことは考えなかった。目指すものもなく、とっつきにくい学生だったのに、その頃は元気で積極性のある青年になっていた、良いか悪いかは別として。そしてスカウトされた花屋で「つくる」ことも覚え「はこぶ」ことも面白くて、楽しくてしょうがなかった。ひとつ教わるとできるまで練習した。身体が覚えると、次から次へと、試したくなる。幼い頃、絵だけは褒められた。絵画教室とかに通っていたわけじゃなく、ただ描いたものが、大人たちにすごく褒められた。それは嬉しかった。

花も同じだった。褒められた。単純だ。嬉しいじゃないか!

この仕事は天職かもしれない、そう浮き足だった20代だった。
その浮き足は、勇気なのか勘違いなのか、思い上がりなのか? 

沸々と湧き上がった気持ち、、、
「いつか独立したい。花屋を開業したい。この仕事ならできるかもしれない。」
と思い至った。ごく自然に。

修行としては群馬県外でも働いてみたかった。学びたい気持ちと「都会や都会の近くで自分の技術が通用するのか?」を、試したかった。そこで横浜を選んだ。そしたら通用したし、めっちゃ「上手い人」認定された。ウエディングの提案担当になったし、それらは人気となり商品化した。すごく自信がついた。

最初の開業

30代、2005年、なんとか開業。夢の独立。いろいろあって彼女と一緒に始めることになった。
結婚式もできなくて彼女なんです。

修行時代の思い上がりは、無惨に打ち砕かれて、お客様なんてさっぱりきません!
はいバイトします、バイトします。そんな掛け持ち状態の生活が続きます。

それでも、当時コツコツと、(その当時運営していた)ブログとホームページを頑張ったり、いろいろな経営者があつまる勉強会や会合なんかに参加したり、だんだん認知されたのもあって、2009年は「まぁ〜びっくり!忙しいぞっ!」となりました。そのおかげでやっと結婚式もできた! 

彼女ではなくて奥さんだ。幸せの絶頂、仲良かったんだよね。
いろいろ充実してきたぞ!って時に・・・ 

奥さんは病気になってしまう。
2年間の闘病、看病。
苦悩、自責、他責、苛立ち、不安・・・・

そして「さよなら」 そう星になってしまったんだ。

【 Flowers Evergreen 】は二人ではじめたお店。
支えてくれたたくさんの人たちとお客さんには申し訳ないけれど、精神的にも「キテた」自分が廃業することにした。

2回目の開業とコロナ禍

それでも花の仕事はしたい。店(店舗)はその当時の自分には負担だった。
そこで出かけていって飾る ディスプレイ専門の花屋を試してみたくなった。

アイデアは 【 Flowers Evergreen 】 の時からあって、きっかけは建築設計士さんからの依頼と、ウエディングのお客さまのリクエストからだった。(詳しくはまだ別記事で書きたい)

屋号はシンプルにアレンジ。

【 ARRANGE 】 は2016年から始めました。ご縁があって高崎駅のコンコースに飾ったり、東京の恵比寿ガーデンプレイスに飾ったり、ライブイベントや、建築設計士さんのオープンハウスなど、、たくさんの「思いがけない場所」でお仕事させていただきました。ですが、2020 コロナの影響により進んでいたプロジェクトも、問い合わせもサッパリ。ひとまず廃業です。

並行して勤めていた花屋さんがコロナで大打撃
ー お声がけいただき精神的不安な時も親切にしていただき、また【 ARRANGE 】の活動も理解してもらってた ー 
お給料いただくのも申し訳ないくらいな日々に。なので、そこは「おいとま」して、また違う花屋さんに勤めるも、こんど体調不調になってしまいました。長期(3ヶ月休みをいただきましたが)事実上のクビとなってしまいました。
そしてほぼ1年「動けない」状態が続きます。

花屋の仕事というのは、実は体力仕事であります。意外でしょ?
これを読んでいるあなた、ミネラルウォーター買っていますか? それ重くないですか?

そう花を運ぶイコール 何リットルもの水を運ぶ、なんですね。
そういう言い訳であります。「動けない」しましてや重い物を運ぶのがキツイ身体になってしまいました。
そうして2023年はほとんど、ゆっくりしておりました。

ひとまずの回復とささやかな希望

2024年 体調はひとまず回復。まだ全快ってほどじゃない。
お金もキツいし社会復帰しなきゃヤバいと思う。

人材派遣に登録して住まいの近所の倉庫へ勤めることになった。
期間限定の仕事だったけど、やや延長もいただいて完走できた。

「動けない」状態から、やっと動く、働く。
毎日ヘトヘトになりながら、時折体調不良が繰り返したりしたけれど
働くことによって、親切な人と関わることによって、

体調の不安と共に失った単なる「自信」も取り戻してきた。
だから、また【 ARRANGE 】やりたいな、と思えるようになってきた。

きっかけとしてのWebsite

そんなわけで、このサイトをつくってみました。
久しぶりのWordPressに苦戦しながらつくってみましたよ。

改善の余地がありありだし、まだ完成してないけれど公開しました。
ひとまず、お見知り置きを。

よろしくお願いします。